時宗のまち・・・尾道

尾道市には時宗の寺院が六ヶ寺ございます。全国的に見て、一つの町にこれだけの時宗寺院が集まっているのは珍しいと言えます。

これは尾道が商業都市として様々に人とモノが流通していた名残であると同時に時宗寺院には当時の「浜旦那(漁師をまとめたり、魚介類などを卸す商人)」の隆盛を垣間見る事の出来るものが多く所蔵されています。

 

近年のいわゆる「仏像ブーム」を始め、仏教に癒しを求める傾向があります。それは今も昔も変わらず、特に漁師や浜旦那は時に危険なものとなる海を相手にするだけに神仏に海上安全を願いました。尾道の多くの寺々は海と深い関係があるのです。

 

時宗寺院はその中で、人々を分け隔てなく受け入れ、同時に「文化の発信元」にもなったという点は特筆しておかなければならないでしょう。

 

 

 

尾道の時宗寺院と時宗門中寺院

常称寺(じょうしょうじ)

常称寺本堂
常称寺本堂

正式には「尾陽山(びようざん)願王院(がんおういん)常称寺」。

 

元々は天台宗の小堂が起源であったと言われていますが、延慶2年(1309)時宗第二祖・他阿真教上人が諸国巡錫中、尾道にとどまり念仏布教に勤めている時に霊夢を感じその地に生えていた榧(かや)の大木をもって一堂を建立したのが時宗寺院としての始まりだ言われております。往時には「榧堂」とも呼ばれ、時衆念仏の大道場として隆盛を誇りました。

 

また、かつて境内には鎮守社として牛頭天王(ごずてんのう)祀る「祇園社」が鎮座し、こちらも多くの信者に信仰されていました。尾道を代表する初夏の大祭である「祇園祭(通称・三体まわし)」は、この常称寺に鎮座していた祇園宮のお祭りが起源となっています。


堂宇は焼失と再建を繰り返し、明治の神仏分離令によって「祇園社」が久保厳島神社に合祀され、現在は本堂と観音堂、鐘楼のみが残っております。

 山門と本堂の間に鉄道と国道が走り、山門は民家の中に残されています。

 

本堂内には本尊「阿弥陀如来立像」「他阿真教上人像」(共に重文)が安置されております。2007年には本堂や山門などが国の重要文化財に指定されました。

 

 

 

 

遊行第二祖(時宗二祖)・他阿真教上人像
遊行第二祖(時宗二祖)・他阿真教上人像

                     

西郷寺(さいごうじ)

西郷寺本堂
西郷寺本堂

正式には「智月山(ちげつさん)等持院(とうじいん)西郷寺」。

 

正慶年間(1332~1334)に遊行六世・一鎮上人によって開基された常称寺に並ぶ時宗の大道場であったお寺です。当初は「西江寺」という寺名でしたが、後に「西郷寺」と改称されました。通称「入江の道場」と呼ばれ、常称寺と共に時宗布教の道場でした。

かつては寺坊塔頭を多く抱え、中でも「水之庵」には織田信長に叛いた荒木摂津守村重が隠棲していたと伝えられています。同じくこの寺には「毘沙門堂」という坊もあったようで、現在は寺内本堂脇に「毘沙門堂」が建立されています。

 

また、当山は室町幕府初代将軍・足利尊氏とも関係があり、故に「等持院」の院号がつけられていると思われます(※京都にある足利将軍家菩提寺で歴代将軍木像が安置されている寺の名前が等持院)。2014年の本尊・阿弥陀如来像修復に伴う調査では、同像胎内から足利尊氏のものと思われる位牌が発見されています。

 

現在の本堂は西郷寺二代目住持の託何(たくが)上人が発願して建立されました。本堂内天井は手を打つと反響する、いわゆる「鳴き龍天井」となっております。内陣の周囲を外陣がめぐる形式の平面は浄土教に特徴的で、時宗本堂最古の遺構として国重文となっております。

 

千光寺公園にある尾道市立美術館(本館)は、西郷寺本堂をモデルに造られております。

 

「西江寺」と刻まれた石碑
「西江寺」と刻まれた石碑

 

 

 

海徳寺(かいとくじ)

海徳寺本堂
海徳寺本堂

正式には「龍燈山(りゅうとうざん)海徳寺」。

開基は弘安10年(1287)、時宗開祖・一遍上人によって草庵が結ばれたのを開基とする、尾道の時宗寺院の中で最も古い寺院でした。

かつては久保沖の突き出た中洲にあり、通称「沖の道場」と呼ばれて念仏修行の大道場となっていました。備後地方において最初に時衆がその活動を始めた場所でもあり、信仰者がおおく参拝していた古刹です。

 

しかし大正十四年、失火によって惜しくも全焼し、以後浄土寺山中の現在地に移転する事になりました。

 

 

慈観寺(じかんじ)

慈観寺本堂
慈観寺本堂

正式には「欣求山(ごんぐさん)慈観寺」。

貞和四(1348)年、慈観上人により開基されました。

はじめは栗原の世計橋附近に建立されていましたが、江戸時代・元和年間に現在地に移転したとされています。

天保の大飢饉の際、尾道地方にも困窮の難民が多く出た事を受けて、当時の町年寄であった橋本竹下(はしもと・ちっか)は飢饉の救済事業として工事に難民を人夫として雇用する為に本堂の改築を発願し、天保5年(1834)起工、同8年(1837)竣工したのが現在の本堂です。この本堂建立事業によって尾道では一人の餓死者も出さなかったと伝わっています。

 

本堂は禅宗の様式となっており、浄土教である時宗寺院としては珍しい造りとなっています。本尊は阿弥陀三尊像ですが、本尊壇の左右にある壇には宗祖一遍上人と二祖真教上人の両像が安置されており、時宗の寺院であるという事が明確にわかります。


本堂内陣の襖絵は江戸期に活躍した尾道出身の女流画家・平田玉蘊(ひらた・ぎょくおん)の手による「桐に鳳凰図」で、勇壮かつ繊細な筆致の大変美しいものとなっております。


境内には「虚空蔵堂」もあり、海中より引き上げられたと伝わる、弘法大師由来とされる虚空蔵菩薩像が安置されています(秘仏)。

 

当山は牡丹が有名で、通称「牡丹寺」ともいいます。また境内には「夫婦松」もあり、昔から「縁結び」「夫婦和合」「繁栄長寿」を願う人々に熱く信奉されています。


2014年8月、新たに副住職(次期住職)が入山いたしました。山内にはカフェ「牡丹庵」があります。是非、一度お立ち寄りください。

 

 

 

海福寺 (かいふくじ)

海福寺本堂
海福寺本堂

正式には「無量山(むりょうざん)海福寺」。

寺伝によれば、1328(嘉暦三)年に遊行二祖・他阿真教上人により開山されたとも、また1320(元応二)年に真教上人の高弟・但阿彌によって開基されたと伝わります。


本尊は阿弥陀三尊像ですが、脇侍が宗祖一遍上人・二祖真教上人となっており、いわゆる「時宗式三尊像」になっております。

 

境内には鎮守社として「熊野神社」が祀られております。近年になって尾道学研究会による調査の際に住職の許可によって祠を開扉させていただいた所、祠中に老翁身の熊野権現像一躯、あわせて束帯姿の神像が奉安されていることが明らかになりました。

 

同じく境内には「三ツ首様」というものが祀られています。「三ツ首様」というのは、元は尾道を騒がせた想兵衛・亀蔵・利助の三人の義賊の事です。三人の義賊はあえなく捕縛されて斬首となりましたが、当時の住職・堪応和尚の枕元に三人の霊が現れ「我らの首を首塚に祀り、丁重に供養すれば首から上の病を直す」との夢告を受けたといわれます。以降、堪応和尚は夢告の通りに首塚を建立して供養すると、お参りに来た人達の首から上の病が治癒した、という伝説があります。

「三ツ首様」
「三ツ首様」

 

 

 

三原の時宗寺院

観音寺(かんのんじ)

観音寺本堂
観音寺本堂

正式には「海南山(かいなんざん)観音寺」。

本尊は十一面観音菩薩です。

開基・開山の正確な時期は不明ですが、寺伝によれば1280年頃と言われています。

同寺は1567年、小早川隆景が三原城築城に伴って移住した際、それ以前の居城であった新高山城のあった本郷町から多くの寺院を三原に移させたうちの一つです。

三原城完成時に、それを祝って観音寺に人々が集まり、踊り念仏(念仏踊り)を始めとした様々な踊りが舞われました。これが現在、三原の夏の名物となっている「三原やっさ祭り」の原型となりました。「やっさ祭り」の踊りは観音寺の踊り念仏が由来であると伝えられています。

 

住所:広島県三原市東町3-5-3

 

 

 

鞆(福山)の時宗寺院

本願寺(ほんがんじ)

本願寺本堂
本願寺本堂

正式には「与楽山(よらくさん)道山院(どうざんいん)本願寺」。

鎌倉末、弘安年中に宗祖・一遍上人による開基と伝わっています。本尊は阿弥陀如来です。


本願寺は備後地方の時宗寺院の中でも有数の大寺院であり、住職は駕籠に乗ることも許されていたと言われています。


元は鞆町内の別の場所にあり、広い寺領を有し、寺内に五つの僧坊がありました。しかし備後に進出した毛利氏によってその寺領は大半を没収され、関ヶ原合戦以後同地に入封した福島正則による鞆城整備と鞆町の区画整理により、現在地に移転する事になります。

 

元々、鞆にはこの本願寺と雲羅山福寿院永海寺(うんらざん・ふくじゅいん・えいかいじ)の二寺ありましたが、永海寺は1754年に焼失してそのまま廃寺となり、福山の時宗寺院は本願寺の一ヶ寺のみとなりました。江戸時代には新将軍就任祝賀に来日した朝鮮通信使の宿泊所の一つともなっています。

 

境内には鎮守社として熊野社が祀られ、寺宝として一遍上人像(江戸時代中期)があります。

 

なお、当初安置されていた本尊・阿弥陀如来像は近世の廃仏毀釈等の混乱にまぎれて盗難の憂き目に遭い、行方不明となってしまいました。

近年になって、旧本尊のものと思われる蓮台(台座)と脇侍・勢至菩薩像が府中市の個人所蔵となっている事が明らかになっています。

 

 

一遍上人像(本願寺蔵)
一遍上人像(本願寺蔵)

時宗寺院マップ