当山について

<正式名称>

来迎山 引接院 正念寺

(らいごうざん・いんじょういん・しょうねんじ)

 

<概略>

天正二年に覚阿弥陀仏が開山し、天正十三年に遊行三十一世同念上人によって小庵が結ばれた事にはじまると伝わる。元来は観音堂(山門南側にあったと伝わる)もしくは地蔵堂(延命地蔵)であったとされ、後に西郷寺末とされる。

 

現在の本堂は、堂内天井画の願文を見るに弘化二年に落慶。本尊である阿弥陀如来座像も同時期に安置されたと思われる。

 

当山西にそびえる亀山にある八幡神社(久保八幡神社)の神宮寺も兼務したと伝わり、宮司家である永井氏歴代の墓が当山にある。

また、明治初期まで本堂南側(現在は八幡宮所有地)に時宗の小寺「地蔵院十王堂」があり、当山と関連があると見られる。

 

明治以後しばらく荒廃していたが、二十四世が晋山して現在に至る。

 

 

※下の版画は・・・

江戸期の双六「徒然玉浦尾道神社仏閣巡拝」にある「志やうねんじ(正念寺)」の絵図。

 

 

双六「尾道神社仏閣巡拝」より、「志やうねんじ」
双六「尾道神社仏閣巡拝」より、「志やうねんじ」

○本堂○

正念寺本堂
正念寺本堂

当山の本堂は天正二年の建立といわれ、様式は鎌倉風であります。本尊・阿弥陀如来坐像は全国的にも珍しい半跏座(片側のおみ足を伸べ下ろす姿)で、大変珍しいものです。造像年は不詳ではありますが、技術の精巧さから見て室町以降の作であろうと思われます。

 

脇侍の観音菩薩立像は藤原時代の趣があり、非常に優雅なお姿をされておられます。先立って神奈川県立博物館による調査の結果、一部近世の後補部分があることが判明致しましたが、それ以外はすべて藤原時代のままであるという事でした。

 

もう一方の脇におられます僧形の人物は「伝・一遍上人」とされていますが、当山開基である遊行三十一世・同念上人像の可能性も指摘されています。

 

平成29年、本堂建立以来初めての大改修を終え、秋に落慶法要を予定しております。

 

本堂内、「天井画」ならびに本尊「阿弥陀如来坐像」は尾道市有形民俗文化財に指定されております。

○延壽堂(延命地蔵尊)○

延壽堂(地蔵堂)
延壽堂(地蔵堂)

地蔵堂のご本尊である延命地蔵菩薩立像は、元は本堂内に安置してありましたが、当代住職の発願によって昭和四十四年に現在の「延壽堂」が建立されて、現在はそちらに安置しております。延命長寿と諸難からの救済、病気恢復を祈られる方が毎日多くご参拝になり、一心にお祈りを捧げておられます。

 

本尊である地蔵菩薩は「等身大」と呼ばれ、身の丈は五尺六寸ございます。

尾道の郷土史の大家でありました財間八郎先生によれば、この地蔵尊は行基作との伝承もあるとご指摘を受けましたが、近年尾道学研究会による再調査の結果、江戸期のものである事が判明致しました。

 

 

※地蔵菩薩立像は尾道市有形民俗文化財に指定されています。

○白玉井成神社○

白玉社
白玉社

白玉井成神社(しらたまいなりじんじゃ)は当山の鎮守社です。

同時に当山境内に湧く霊泉「延命井」の守護神として祀られております。

伝承によれば、伏見稲荷大社末社と天川弁財天社より勧請し、奉祭したとも伝えられております。

 

白玉社では初午祭、夏越祓、御火焚祭などが行われますが、その際は神官による祝詞奏上の後、当山住職によって読経が行われて法楽を奉ります。

 

 

 

 

 

 

○境内○

「双子のお地蔵さん」
「双子のお地蔵さん」

当山境内には、かつて門前が街道であった事を示すものがいくつか存在します。代表的なものが「双子のお地蔵さん」とよばれるもので、これは道の守護である「道祖神」であったものとも考えられます。

 

また、墓地には珍しい硯(すずり)と筆の形をした墓石があります。これは書家であり、教育者であった方のお墓で、没後門人有志が建立されたものです。

 

 

 

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